「今」この瞬間の鮮やかさ
こんにちは
長岡市 鍼灸・リラクゼーション
Healing room momoです✨
意識、思考のお話です。
ノンデュアリティ 、非二元のお話になります。
いつもみなさんは、どこに意識を置いて何を観て何を感じていますか?
ほとんどの場合、「今」にいながら
思考のあれやこれやを聞き、あたかもそれが本当に存在する事のように観て、感じ、捉え、過去や未来に意識を飛ばして生活しています。
これが、ある意味の日常的「無意識」です。
自分が思考に溺れてしまい、思考を意識するという俯瞰的な見方ができない状態です。
勝手に湧き上がる思考、マインドのおしゃべりを相手にしてしまい、あたかもすでに問題があるかのように捉え、そして問題解決にエネルギーを注ぎます。
ex)お客様がキャンセルになった→このままでは、お金が足りなくなる。→それはとてもひもじい。辛い。ヤバい。→この辛い気持ちを解決するには……
思考・マインドは、
このような、短絡的な流れで絶えず「今」を問題化して、それを解決しなければいけないと思い込み、頭でぐるぐるエネルギーを使い続けます。 自作自演です。
以前、このような思考ぐるぐる状態から、ふと、それに気づき全体を俯瞰して観れた時に景色の見え方が全く違うという経験がありました。
「今」にいながら「今」にいないと、世界はぼんやりして、存在しない思考のモヤモヤにフォーカスしています。
しかし
しっかり「今」に根付いて思考がただのおしゃべりであると気づき、そこにエネルギーを注がなくなったとき、在り在りと世界が観えます。
「今」にある
鉢植えの植物、花瓶のお花、街路樹の木、
子供の騒ぎ声、散らかった日用品の一つ一つ
窓からの明かり、鳥の声、風の音、モーターの音、朝ごはんの残り香…
世界の鮮やかさが変わっていました。
これが、「今」現れている完璧な状態です。
実存的なものであり、思考が作り出す、実態の無い憧れや比較や問題とは異なり、そこには安心感があります。
思考を相手どり、同一化し、それが「わたし」の問題とした時に、一気に不安感に襲われます。
しかし、思考のおしゃべりが「わたし」の物ではなく、自然に現れているものだと気づいた時にそこにある安心感と共にいることに気づきます。
思考本位の生き方の癖は相当に強いものですが、1日のほんの僅かな一瞬でも、すっと
「これは、わたしという個人に起きているものでは無い。」という視点で思考を観てみてください。
雨が降るように、雪が降るように、陽の光がさすように、時に雷が落ちるように、自然に湧いて出ているのです。
自然となんら変わらなかったのです(^^)
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