より良くなろうとしない。
こんにちは
鍼灸・リラクゼーション
Healing room momoです🙂
以前も書きましたが
この世は二元性です。
1、元となる物が二つあること。
2、物事が二つの異なった原理から成り立つこと。またその原理。
goo辞書より
良い悪い
善悪
幸不幸
白黒
敵味方
多い少ない
損得
私たちの頭はこのように同じモノサシ上にある相反する性質で物事を測ります。
無意識に。
と考えると、私たちがもっと幸せになろうとした時にも相反する性質がくっついてきます。
幸せになりたい ⇄ 幸せでは無い
もっと良くなりたい ⇄ 今が良くない
これがセットになっている。
幸せを引き寄せたいとか、ハッピーになるために何かをしたりの影には
今現在の否定が一緒にくっついてくるような気がします。
幸せに一時的にはなるかもしれないけれど、物質や現象の幸せは一過性だから
幸せでは無い感覚とを行ったり来たりするのだと思います。
そしてこのアップダウンが辛いし、私たちの元気を消耗させている。
ではどうするのか?
幸せとか、もっと良くなるとか、このモノサシを使わない。
考えを駆使してがむしゃらに良くなろうとしない。
もお、幸せになるとか、良くなろうとかしない。
がむしゃらにならなくても実は動き流れ続けるこの大きな流れ、命の流れのようなものに身を任せること。
人間の大人だけなのではないでしょうか
幸せとか考えたり、もっともっと良くなろうとするのは。
息子が4歳なのですが、幸せとか良くなるという概念が無いんですね。
幸せ何それおいしいの?状態で
そのような感覚はわかっていると思いますが、まだ幸せのモノサシ使えていない状態です。
そして、いつか幸せになれるとか、いつか良くなるとかの期待もありません。
楽しい時に楽しいし、幸せな時に幸せだし、今この瞬間のそのまんましか無いのだと思います。
子供のようになれば良いのかということでは無いのですが
とても単純シンプルで、こだわりが無く楽だと思うのです。
こんな感じで、考えていることが軽やかであれば軽やかであるほど
自然な流れの様な物が自然な形で起きてくる様な気がします。
私たちは、余計な自力にまみれていて不自然な形を経験している様にも感じます。
幸せになるとか、もっと良くなるとか、癒されたいとか、変わりたいとか
それが大事な時もありますが、そのモノサシには否定系の性質が必ずくっついているということ。
それが執着や辛さに変わってきたら、その前進思考は辞めてしまって大丈夫🙆♀️だと思います。
何も付け足さ無いで、何も変え無いで、ありのままの現れを抱擁する様に見れたら、それはそれで気楽なんじゃないでしょうか(^^)
下手な呟きでしたが、読んでいただきありがとうございました😊
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