ジャッジに巻き込まれない。
こんにちは、鍼灸・リラクゼーション
Healing room momo です。
思考観察のお話です🙂
良い悪いでは無い、そしてまた良いも悪いも含んだような、それ故に良い悪いを超えている
『これでよし』
『これもまたよし』の感覚。
バカボンのパパが言う
『これでいいのだ〜‼︎』みたいな。
それでも、「よし!!」とか「いい」とか聞くと
頭は「良い」「悪い」を捉えてしまいますが
どこまでも「良い」とか「悪い」の無い状態。
人生で起こる様々なことを通して
二極のジャッジを超えた
これでよい
これでマル
これで完璧
に身を委ねてみる。
時には、辛さや不都合さに身を委ねることなのかもしれませんし、諦めていくような感覚が伴うのかもしれません。
だけれども、それもよし。
良い悪いを超えた、それもよし。
外の世界をジャッジしているということは、自分の事も無意識にジャッジをしているはずで
これはやっぱり『苦しみ』なんだと思います。
だからジャッジをやめていきましょう‼︎というお話ではありません。
ジャッジをやめて楽になりましょう‼︎という事ではありません。
私達、人間の思考はどうしてもジャッジをしてしまうということです。
どうしても裁いてしまうということです。
些細なことから大きな問題と思えることまで、ジャッジしていることに気づいてみてください。
その働きに丁寧に気づいていくと、『良い』とか『悪い』の曖昧さにも気づいていく様な気がします。
良い悪いが曖昧ということは、本当はそれに力が無いということかなと思います。
『良い』『悪い』の曖昧さが分かってくると、ジャッジや裁きの中に溺れるのでは無く、それらと一緒に居るということができます。
いつもは、ジャッジや悩みの渦の中に溺れていてそれを解決したりコントロールしたりであくせくしているけれど、ジャッジや悩みと共にいることができると落ち着いていて、安心していて、とても静寂です。
そして、それらは自然に消えていきます。
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時に、世界に対するジャッジが、自分に対するジャッジが視野を狭めさせて
苦しさや生きづらさやに繋がることがあります。
身体の不調になることだってあります。
どんな感覚が私に起きても
今日もどんより重い心でも
なんだか元気が出ない時も
どうしようもなくやり場の無い状態でも
自分のことをどんな風に感じても
良い悪いを超えて『これでよし』の掴みどころの無い感覚に落ち着いてみてください。
良い悪いの判断を超えた、力の抜けた「これでもまぁいっか」に落ち着いてみてください。
その曖昧さに慣れてみてください🙂
ちょっと意味の分かりづらいお話だったかもしれませんが
読んでいただきありがとうございます😊
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