身体は全部知っている。
こんにちは
鍼灸・整体 momo鍼灸室です^^
日々皆様の施術をさせていただいて感じるのは
私たちの「からだ」、特に筋肉は頭と同じように何かを記憶しているなということです。
頭のような明確さはないけれど、感覚的に緊張という形で記憶していると思うのです。
(緊張は身体にとって血行不良の状態を作り、低酸素や低温などに繋がります。)
身体の方が、純粋で単純で、思考や言葉を通さずに存在しています。
なので、身体の反応はとても正直だと思います。
子供のように正直です。
私たちの、コリやハリ、筋肉の緊張、痛み、もしくは病気と呼ばれるものなどは、私たちが気づかない状態で作られていきます。
例えば、何かとてもストレスになるようなことがあった時に、まず、頭で記憶を辿り
昔こんな事があったから、この時はこのような対処をすればいける!!いや、でもこれを今言ってしまったらマズイな・・・などという計算を瞬時に繰り広げます。
この時、意識は完全に思考の動きと同化しています。
だけれど、同時に「からだ」も間違いなく何らかの反応があり、様々な感覚が起きています。
そしてそれはいつも見過ごされています。
常に問題解決の動きの中に生きる私たちは、思考を優先させていて
からだの感覚はいつも置き去りにされているような気がします。
お話を伺っていると、幼少の頃の辛い経験などが身体の反応として現れることは
よくあるような気がします。
昔の事を思い出して、身体が反応することって普通にありますもんね。
頭で対処、解決することはある意味でとても大切ですが
それと同時に、いつもありのままに起きている身体の感覚に気づく
ありのままの感情感覚に気づくという事もとても大切だと感じます。
というか、それに気づかないままだと、どこか心が苦しかったり
身体の反応として表出しようとしたりするのだろうと思います。
頭の解釈や言葉を通さずに
身体の感覚に気づく。観る。
つい、不快な感覚を体験、再体験すると頭がぐるぐると働いてしまいますが
できるだけ頭を介さずに、身体の感覚を観る。
解決や、記憶を辿るという動きの中に入ると、それはとても苦痛だと思いますが
「今」起きているその感覚に気づいてみてください。
消さなくて良いので、一緒にいてみてください。
私は、思考の観察と一緒に
感覚をジャッジせず、ただ一緒にいてみるという事もしていました。
不快な感覚をどうにかしようとすると、苦しみの中に入ってしまいますが
まあいいか、これもいいかと感覚に気づいていると
どこか緊張が緩むのです。
身体がどこか楽なのです。
脳科学のことなんか、全然わかりませんが
身体を診させていただいて日頃感じるとをかいてみました。
生きることのその流れの軽やかさのヒントは意外と、身体の感覚の方に
あるのでは無いかと密かに感じています。
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