加工フィルターを通して世界を見ている
こんにちは^^
鍼灸・整体 momo鍼灸室です。
このブログでは、もっと身体についてのお話を書けばいいのにとも思いますが
行きつくところ、私たちの身体の緊張や痛みを緩めることは
私たちの思考を緩めていくこと、思考の檻にきずいていくことと
ダイレクトに繋がっているのだと見えてきたので、やっぱり書きたいなと思うのです。
思考と身体は密接につながっていますね。
よかったら少しお付き合いください^^
私たちは、脳の働き(主に左脳の働き)により
実はありのままの世界を見れてはいません。
なんというのでしょうか、これは例えであり方便になりますが
SF映画に出てくる人がスマートグラスをかけて新しい惑星の情報を一つ一つ解析
しているような。。。
ごく当たり前に、自然に、無意識にこれを全ての物事、物体、事象に対してやっています。
コップ一つにしても、ボールペンひとつにしても
「私」にとってどうなのか!?という視点で極々無意識に見ています。
「コップ」と名前をつける、ラベリングすることで
全ての物が分かれていて、それを対象物だと捉えることができます。
このラベリングや解析が外れてしまうと
全てのものはフラットに、その差が無く感じられます。
コップもただ 「・・・」 です。
少し話がずれてしまいましたが
例えば、コップを見たときと請求書を見たとき、何か感覚が違いませんか?
この差です。
ラベリングや解釈やジャッジが無いとフラットな世界が
コップを見てホッとする感覚や、請求書を見て少し緊張するような感覚の差を持って
体験できます。
こんな風に、ありとあらゆる物や事象に私たちは無意識の解釈、概念付け、ジャッジのフィルターを通して見ています。
しかも、それはその人その人によって全く違います。
違う世界を見ているくらい違うかもしれません。
特にこれはヤバいぞ!!問題だぞ!!
と頭が判断したときには、強くジャッジや解釈や分析をします。
それぞれの過去の記憶を基にしたフィルターを通して。
加工フィルターのアプリで、ジブリ風になったり、ゾンビ風味になったりして見える。
それに似ているなと思いました。
問題視した瞬間に目の前のことは良くも悪くもドラマチックに感じられます。
問題視した瞬間に、頭からの指令で身体になんらかの緊張感のような物が感じられます。
加工フィルターのアプリを外してみると。
つまりは、ジャッジや解釈無しで世界を見ると。
もっと言えば、思考を介さないでありのままをありのままに見ると。
ゾンビにはなっていなかったし、問題はなかった。
思考、頭の働きって大切なものなのですが、ものすごいドラマの演出家みたいなところがあります。しかも、割と悲劇は大好物。
加工フィルターはそのように見えるけれど、幻ですね。
問題もあるように見えるし、そのように体感されるけれど、幻なのかもしれません。
人生の前半ではこのフィルターを形成して自分の力で生き抜くという事をやってきたように思います。
沢山勉強して、沢山詰め込んで、沢山正解したり間違ったりして。
人生のどこかで、一度作り上げてきたフィルターを外してありのままの世界を見ることにシフトチェンジしていけたらまた面白く、味わい深くなっていくのだと思うのです。
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