比較ばかりしていた

こんにちは、鍼灸・リラクゼーション
Healing room momoです(^^)


最近、こちらのブログで目醒めとか悟りと言われていること。日常の意識とは少し離れた視点のお話を書いています。

だけど日常的な写真。


私は鍼灸師なので、健康、健やかさとは何だろうといつも問いを持っています。
そこを見ていくと、やっぱり悟りとかの方向に引き寄せられてしまうんですね。
もともと、東洋医学大好きですし、老子荘子も凄く惹かれてしまいます。



肉体が、ただの物質としての存在だとは到底思えないんです。
思考や感情、感覚、様々な影響を受けているし、潜在意識の現れのようにも感じます。
意識の気づきがあって、ようやく奥深くから体のリラックス、緊張からの解放が始まるような気がします。



ちょっと飛躍したオーバーな考え方かもしれませんが、そもそも、悟りや覚醒への認識が手の届かない崇高な一部の限られた神的な人にしか与えられないものみたいな概念が思い込みとして刷り込まれているのかもしれませんよね。
本当は、凄く自然で楽で、これからの時代、もっとフラットにみんなに受け入れられていくことのように感じます。




本題の、「比較」についてです。
前回のブログでは、思考はいつも「欠けている私を提示してくる」と書きました。
四六時中、「欠けている私」を演出しています。
このままでは、足りないよ‼︎
このままでは、嫌われるよ‼︎
このままでは、幸せになれないよ‼︎
単刀直入にこのように言っていなくとも、その頭のおしゃべりをよーく観察すると、未来や過去のことばかり考えていて、「欠けている私。完璧になれない私。」を提示してきているとわかります。



この「欠けている私」は「比較」してはじめて
現れます。

過去の経験との比較。
情報との比較。
人との比較。
未来との比較。

比較して、自分に何か足りなければ外側の世界にその不足や欠けを埋める何かを求めたり、自分の内側の改善点を見つけようと忙しく動きます。

比較して、自分が優位だと気づけば優越感としてのおかしな安心感が生まれます。



どちらにしても、大きく複雑な世界に対して、小さな小さな「分離した私」が頑張ったり、一喜一憂している状態です。



そもそも気づきたいところは、私は常に完璧にまん丸(欠けていないという意味で)だということです。🙆‍♀️ 常に自分はありのままでOKだということですね。




みんな、(私もそうだったのでよく分かりますが。)いつもいつも自分はダメだ、自分は完璧じゃないと感じていますが、何と比べてダメなんでしょうか?
何と比べて完璧じゃないんでしょか?
お金なんか特にそうですね。
誰と比べて豊かなのでしょうか?
何と比べて貧しいのでしょうか?
この社会も、ほとんど比較で溢れていますよね。



この比較を終わらせていくには、比較対象である「自分が外側に意味や価値をつけている世界」が幻影だったと気づいていく事が大切になってきます。



幻影なの⁈とビックリしちゃう、もしくはこの人アホなのかと思われると思いますが、私達が意味づけしているような世界はありません。





どうやってそんな風に思えるのよ⁈ということですが、まずは、ただただ思考を観ていくことです。
日常当たり前に頭に湧き上がる思考、考えをありのままに観ていきます。
観て何か解決法が出てくるわけでも無いですし、外側の世界が変わるわけでもありません。


ただ思考を観察する。以上。  です。



これも思考のトラップですが、何かやってその結果を求めてしまいますが、思考観察には何も結果を求めず、ただ淡々と思考を観ます。



強いて言えば
この世界や、頭に湧き上がる思考を観察していたのは誰なの⁈という問いが体の感覚として湧きあがった時に何か気づきがあるのかもしれません(^^)


























鍼灸・整体 momo鍼灸室 (Healing room momo)

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