二極、二元、太極図のお話
こんにちは、鍼灸・リラクゼーション
Healingroommomoです。
今日は太極図について書いてみたいと思います。
私が4歳の時『来来キョンシーズ』を見て以来惹かれ続けるこのデザイン。
惹かれすぎて、3年前から太極拳も習い始めました。
鍼灸学校の東洋医学の授業でこの二元論について学びました。
これは、この世界は二極でできているよというマークです。
二極=二元でもあります。
陽陰
実虚
男女
右左
上下
天地
太陽月
昼夜
光陰
ポジティブネガティブ
善悪
良い悪い
勝ち負け・・・・etc
確かにこの物質の現象の世界は二極でできていますし、私たちの頭は絶えずこの二極の判断をしています。
あの店は高い、この店は安い
マスクは良い、マスクしないのは悪い
あの国は悪だとか
二極であるから、自分の概念を明確に持つことができます。
二極であると、物事を測ることができます。
二極は判断、ジャッジなのでこの世界で生きていくには良くも悪くも大切なものとなります。
うまいこと社会の枠の中に収まれる仕組みです。
だから、私達はごく自然にジャッジをしながら生きています。
この世界はジャッジの連続です。
この陰陽の図は二つの陰陽が魚のような形をしており、互いに抱き合っています。
『陰極まれば陽に転ず・陽極まれば陰に転ず』ということが表現されています。
良いというのは、悪いということと同じ尺度(同じ土俵)の両極のお話で結局は同じ枠組みの中の判断です。
善も極まれば悪になり、悪も極まればになるということです。
そして、陰陽の互いの目に反対の性質の色が入っています。
完全なソレは無いよということです。
完全な悪も無いし、完全な善も無い。
完全な右も無いし、完全な左も無い。
右⇨右⇨右⇨と右を追いかけていけばそこは誰かの左です。
(ちょっと的外れたかな)
ここがポイントなのですが
二極なんたけど
固定化された完全な二極では無く、絶えず変化し得る不完全な二極ということです。
今の時代の様に外側が大きく揺れ動いていくと、私達は、完全な二極を求め出します。
白か黒かを求め出します。
それは、恐怖だからです。
究極的には自己の死に対する恐怖です。
すると、対立的な太極図ができちゃいます。
1人1人の内に『正しさ』みたいな物ものが固定化されていくと、なんだかとても息苦しい世の中になります。
これは、絶対悪だよね。
なんで、こんなに善良なものを拒否するの?
人は苦しい時、周りや自分を完全な二極の判断から生まれる正しさで裁いてしまいます。
心が苦しい時、必ずそこには裁きがあります。
辛い時に見てみてください。
私はよくやっています。
太極図の通り、良いも悪いも躍動的で時が来れば変化してしまう曖昧な物なのです。
この世で私達の持つ正しさは、儚いのです。
太極拳をやっていると、陰陽の太極を混ぜ合わせているかの様な動きの連続であるように見えてきます。
対立的な太極にならないように、片寄りが生まれない様に混ぜ合わせいるのです。きっと
因みに、人は陰陽のバランスを崩した時に病になると考えられています。
調子の悪い方はお待ちしております。
この世は二極、二元の仕組みですが、苦しさや偏りを感じたら、この太極図を思い出してみてください。
私たちの持つ判断やジャッジは、躍動する不完全なものだと言うことを思い出してみてください。
その正しさは儚いものだと思い出して見てください。
その正しさを意識の内で遊ばせてみてください。
ちょっと軽やかになるはずです。
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