体主体で生きる。体本位で生きる。


こんにちは^^


鍼灸・整体 momo 鍼灸室です。



みなさん、体ってどんな認識でいますか?

というか、体を感じていますか?



日々忙しくしてると、体はあって当たり前で

当たり前すぎて、取り立ててどの様だという認識は持たないのかもしれませんね。

痛い時とか症状があるときだけ気になってしまったりしてね。



体について色々理屈や概念は分かっていても、これだけ繊細で想像もつかないこの凄まじいシステム・・・

結局何が原動力で動いてるのよと思いませんか?

生命とか命とか魂みたいな話になり、そこは最早、私たちの頭では分からない話ですよね。




以前、「体は機械と同じだから、たまに手入れしてやんないとなんだよ。」

と仰っている方がいられました。

何となく分かるのですが、ちょっと寂しい感じがしました。



おそらく、頭や脳が「私」で、重要で、その支配下にあるのが体や心だということなんですよね。

そのような感覚も何となくわかるのですが、やはり違和感があります。

私たちは、子供のころから頭で考えて、外側の価値観からはみ出さないように、もしはみ出したら問題解決をして頭を使って生きていくものだと、逃げ場のないくらい徹底して教わってきたので、自然に頭が上位で頭から下の体はどこか下位なのだという意識でいるのだろうと思います。

頭で考え練り上げて体を頭に従わせるために使って、この私ができる限り幸せに生きていくという

ストーリーをみんなが持っているのだと思います。



体は運動をすることだけに重点が置かれ、体が利くかどうか、競い合って結果を出せるかどうかを評価されてきました。

そんなの人それぞれの体の個性があるのにと思っちゃいますよね。

ただ運動することのもっと奥にある、体で感じる感覚や、出てくる感情を受け止めたり

味わうこって、どこか価値が置かれてきませんでした。

体や心の感覚についてなんて学ばなかったですもんね。

でも、意外にこれが重要です。




もっと体は親密で、そのものが生命でありそれが私であるような感じがします。

ここの頭と体の主従関係が逆転するともっと私たちは楽に生きれるような気がします。

体で感じること、心が感じること、今どんなことが沸き上がっているのか

どんな感覚があるのか。

こんな事がしたい、こんな事を感じてみたいという過去や未来、恐怖や不安に結びつかない

素直な動機が沸いてきたりもします。



この過去や未来、不安や恐怖と結びつかない体からの欲求がある意味で自然に生きているということで、本来の自分の望みなのでスムーズであり楽ちんなのだと思います。



思考を通した欲求は、どうしても比較、不安、恐怖をベースに作られます。

このフィルターを通して体験をしていくことになるので、どこか本来の自分の希みとは

ズレがあり、価値基準が外界にあるのでどうしても自分の本心に沿わないという違和感や

苦しさが出てきます。



体を所有しているという頭上位の感覚で生きていると,例えば病気になったり症状が出たときに

それらと戦いだすという事が起きます。どうにかしてそれを排除しようとします。

この戦いというのが厄介で、時に自分自身への責めが起き更なる苦しみを生みます。

自己攻撃です。自律神経が乱れます。免疫が下がります。




しかし体や心が主体であると、一度受け入れ、体や心が治ろうとする力、自然治癒力にお任せすという余白がある状態になります。

体や心に耳を傾け、どのようなところで躓いていたのか、本来の自分(自然)とズレが生じていたのかという根本を見ようとします。

本当の意味ではこのような調整がなされなければ変化は起きないのだと思います。



頭や思考に使われているのではなく、体や心の声やサインを受け取り行動するために頭をつかうという状態が私たちが楽に健やかに生きるヒントなのだと思います。

そして、頭を中心にして生きるのか、体に意識を置いて生きるのかは健康面にも大きく影響が出るのだろうと思うのです。



※一応momo鍼灸室のロゴのキャラです。餃子みたい。























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